
俺がここ明和で繰り返して来たような、ソースだのエビデンスだのをさほど
示しもしないままでの、文理の統合、溶接を念頭に置いた発言全般に
価値がないと打ち棄てようとする連中が、そのために試みている
「そもそも数理は~グダグダ」云々とかいった屁理屈全体が、
所詮は文理を分断してかかる洋学の権威頼みなものでしかなく、
俺みたいな洋学(特に文系)の権威全体を認めていない側からすれば、
田舎の風習を掲げて都会で偉ぶってるような愚かしさにしか見えない。
家康公の鎌倉幕府への分析なども、直観的で、十分な数学的帰納法
による証明などを介していない度合いでは俺並みだったろうけれども、
その分析研究の実践によって、あらゆる洋学者が成し得たことも
ないような長期泰平の世を実現した。にもかかわらず、それが洋学側の
文理分断の原則に即した真似ではなかったからといって、無価値扱いなど
しようものなら、これまた井の中の蛙の夜郎自大三昧ということにもなろう。
それほどにも、今
>>72なぞが拠り所としている洋学の権威なんてもの自体に
大した価値がなく、いま俺がやっているような、直観的な文理統合の論考こそが
あらゆる洋学以上の成果を人類社会に数多くもたらして来たという、はるかなる
偉大さに即しても、こちらがそちらにそのやり方から妥協してやる余地などはないのである。
返信する