
人間社会で、実力を伴う取り組みを成功させるためには、
いつでも量的な思考やその実践がなくてはならないものだから、
今の世で底辺扱いされているような職分の人々までもが、
日々その必要性に追われながらの取り組みを続けているものではあるが。
文系の洋学の勉強であれ、カルト信仰や育ちの悪さやその他であれ、
ある種の手段で妄念詭弁強弁の類いの能力を、人並み以上に
無駄に増長させた者たちが、そこからかけ離れた領域での、
不毛な争いを激化させて、挙句には権力の上層にまで食い入り始める。
そこでは、もはや繊細で量的な思考などが足手まといにしかならず、
ただひたすら自分の意見は狂信、そこに楯突く者は是非に及ばず
といった二者択一だけが全てとなり、その貫徹のためには、
あらゆる量的な勘案の妥当性をも反故にすることを惜しまなくなる。
残念ながら、人間という生き物にはそういった「癌細胞格」とでも形容すべき
思考回路もまた付き物であるのだから、そこへの警戒を疎かにしてはならないのだ。
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