
洋学が、なぜかくも、高学歴性境界知能といっても過言ではないほどの
文理分裂脳を学徒に植え付けてしまうのかというに、それにもちゃんと理由がある。
洋学は、君子階級や出家者こそが体系化して来た儒学や仏学などとは違って、
私立大所属の学者などが、富豪や商工組合の支援を受けながら体系化して来たのが
主流であるために、立場上、商売や金持ちを悪く言うことはできない。
洋学編纂にかけての一大潮流を形作って来たユダヤ教徒などもまた、
自分たちの本業が政商活動であるために、そこを悪く言うことは許されない。
商売なんてものは、合法的といえども我田引水を主業としているのだし、そんな真似で
金持ちになれたところで偉くもなんともないとか、政商こそはこの世に経済破綻や戦乱を
呼び込む最たる元凶となる暴挙であるとかいったことが、ある程度世の中の構造などに
ついて深く考えてみれば、普遍性を帯びているのを察してしまう。
なればこそ、物事について深く考えたりするのはあくまで過渡的なことであって、
そこでこそ偏見や思い込みも入り混じる。誰にでもわかる、スパッと割り切れる単純明快な
結論にこそ完成系で至上の価値がある、とも総出で思い込み、思い込ませてきたのである。
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