精神外科禁忌の犠牲者たち 心身統一による健康を遠ざける弊害
▼ページ最下部
昔、ロボトミー手術を受けた精神病患者が、
医師の妻と母親を怨みで殺害する事件があったこと等もあって、近年の日本や世界では、
精神外科医療を人権問題上からの禁忌扱いとして行く方向性が固まっているのだけれども。
それと共に、精神外科的病理現象の存在性自体を否定するような思い込みまでもが蔓延し、
心と体を全く別個のものとして扱う同調圧力までもが広まってしまっているのである。
フィクション漫画の「ブラック・ジャック」などでも、精神外科を取り上げた話が発禁扱いに
なっていたりするようにも、並みのエログロをも上回る絶対の禁忌扱いというのが近年の風潮なのだが。
不可逆的な上に大きな副作用を伴う、西洋医療における精神外科が大変な危険性を
帯びているのには違いないが、始めから副作用を徹底的に排して行く東洋医学的な手法によっては、
心身統一(ヨガ)系の行法こそが、精神外科的でありながらも有益無害な好影響をもたらし得るもの。
そんな特別な行法に限ったことではなく、ただ心身統一の心がけがあるだけでも、人間という生き物は
大いなる健康の増進が見込まれるのだけれども、精神外科の禁忌扱いと共にそのような心がけまでもが人々から
遠ざけられて、発達障害や躁鬱や統失などの数多の疾患を無益に招くこととなってしまっているようなのである。
医師の妻と母親を怨みで殺害する事件があったこと等もあって、近年の日本や世界では、
精神外科医療を人権問題上からの禁忌扱いとして行く方向性が固まっているのだけれども。
それと共に、精神外科的病理現象の存在性自体を否定するような思い込みまでもが蔓延し、
心と体を全く別個のものとして扱う同調圧力までもが広まってしまっているのである。
フィクション漫画の「ブラック・ジャック」などでも、精神外科を取り上げた話が発禁扱いに
なっていたりするようにも、並みのエログロをも上回る絶対の禁忌扱いというのが近年の風潮なのだが。
不可逆的な上に大きな副作用を伴う、西洋医療における精神外科が大変な危険性を
帯びているのには違いないが、始めから副作用を徹底的に排して行く東洋医学的な手法によっては、
心身統一(ヨガ)系の行法こそが、精神外科的でありながらも有益無害な好影響をもたらし得るもの。
そんな特別な行法に限ったことではなく、ただ心身統一の心がけがあるだけでも、人間という生き物は
大いなる健康の増進が見込まれるのだけれども、精神外科の禁忌扱いと共にそのような心がけまでもが人々から
遠ざけられて、発達障害や躁鬱や統失などの数多の疾患を無益に招くこととなってしまっているようなのである。
まず、心身統一による健康増進のあらましを述べてみるに。
最も代表的で、今でも広く試みられているのが、呼吸力の養生である。
人間、極度の低酸素状態に置かれれば誰でも錯乱状態に陥ることが、
数多の高所登山経験者たちの体験などからも認知されているけれども。
海抜0m付近の、特別酸素が薄くもない1気圧下で暮らしているのだろうとも、
自分自身の呼吸力が弱まっていれば、それに近いような精神疾患を帯びがちなもの。
そのため、平地の居住者といえども自らの呼吸力を高めることが、
精神疾患を予防や治療する手立てになるのだけれども。
ほんの一時、座禅や瞑想中に深い呼吸を心がけるぐらいのことはできても、
常日頃から持続的に呼吸力を高めておくとなると、かなりの難儀が伴うもので、
呼吸筋の固縮や、深い呼吸を阻害する身体の歪みの解消が必要となったり、
そのための行法で致命傷を負わないための骨盤底筋養生までもが必要になったりする。
それは、安全第一を期するのであればなんらの副作用も帯びないにしても、
「自己手術」といってもいいほど大変な荒行となり得るものであるために、
「あらゆる場合において精神外科は禁忌である」なんていう思い込みと共に成し得ることでもない。
すでに弱ってしまった呼吸力を高め直すとなればそれぐらいの難儀でもあり得ることだし、
それを踏まえた上で、日頃から呼吸力を弱めないように心がけ続けることもまた、
精神外科禁忌の絶対化みたいな怠慢と共には務まらないのである。
最も代表的で、今でも広く試みられているのが、呼吸力の養生である。
人間、極度の低酸素状態に置かれれば誰でも錯乱状態に陥ることが、
数多の高所登山経験者たちの体験などからも認知されているけれども。
海抜0m付近の、特別酸素が薄くもない1気圧下で暮らしているのだろうとも、
自分自身の呼吸力が弱まっていれば、それに近いような精神疾患を帯びがちなもの。
そのため、平地の居住者といえども自らの呼吸力を高めることが、
精神疾患を予防や治療する手立てになるのだけれども。
ほんの一時、座禅や瞑想中に深い呼吸を心がけるぐらいのことはできても、
常日頃から持続的に呼吸力を高めておくとなると、かなりの難儀が伴うもので、
呼吸筋の固縮や、深い呼吸を阻害する身体の歪みの解消が必要となったり、
そのための行法で致命傷を負わないための骨盤底筋養生までもが必要になったりする。
それは、安全第一を期するのであればなんらの副作用も帯びないにしても、
「自己手術」といってもいいほど大変な荒行となり得るものであるために、
「あらゆる場合において精神外科は禁忌である」なんていう思い込みと共に成し得ることでもない。
すでに弱ってしまった呼吸力を高め直すとなればそれぐらいの難儀でもあり得ることだし、
それを踏まえた上で、日頃から呼吸力を弱めないように心がけ続けることもまた、
精神外科禁忌の絶対化みたいな怠慢と共には務まらないのである。
抗精神薬の使い分けにはかなりの経験が求められるから医師選びがなによりも重要
手帳持ち相手に金儲けしか考えてない精神科医の生贄にならないようにね
手帳持ち相手に金儲けしか考えてない精神科医の生贄にならないようにね
>>2
「暴れる精神病患者を精神外科手術で無力化する」なんてのは、
それこそ人権保護主義者たちが真っ先に禁止したかったことだから、
別にそれが禁じられてるのは「精神外科禁忌の弊害」のうちには入らないよ。
ただ、精神そのものの疾患ではなく、呼吸不全を含む身体的な疾患からの
精神外科的な病理によって精神をも副次的に患ってしまっている部類の病人が、
身体の不調は放っとかれたままで、そこに病巣があるわけでもない精神そのものの
治療ばかりを強いられて、まったく良くならず、逆に悪化を来してしまってる
なんてことは大いにあり得ることだから、それが精神外科禁忌の弊害だとはいえる。
その手の患者が暴れるのをロボトミー手術で封じたりするのは、
それこそ過ちの積み重ねにしかならないことだから、
人権どうこう以前の愚行だということにもなる。
「暴れる精神病患者を精神外科手術で無力化する」なんてのは、
それこそ人権保護主義者たちが真っ先に禁止したかったことだから、
別にそれが禁じられてるのは「精神外科禁忌の弊害」のうちには入らないよ。
ただ、精神そのものの疾患ではなく、呼吸不全を含む身体的な疾患からの
精神外科的な病理によって精神をも副次的に患ってしまっている部類の病人が、
身体の不調は放っとかれたままで、そこに病巣があるわけでもない精神そのものの
治療ばかりを強いられて、まったく良くならず、逆に悪化を来してしまってる
なんてことは大いにあり得ることだから、それが精神外科禁忌の弊害だとはいえる。
その手の患者が暴れるのをロボトミー手術で封じたりするのは、
それこそ過ちの積み重ねにしかならないことだから、
人権どうこう以前の愚行だということにもなる。
どこまで意味がわかってて、このスレでそういう発言を試みているのか知らんが。
近年の日本で散発している、明らかに精神の異常を帯びているらしいような
兇漢による犯罪などもまた、心身統一による精神の平穏さえ確立できていれば、
初めから発生もせずに済んでいたようなケースがあったかも知れない。
(個人的には、ほとんどがそういう部類だったと思われるが)
しかし今の日本では、心身統一のわきまえが全くの反故にされている。
心と体が不可分であることを大前提とした諸般の取り組みは、
必ずしも危険性を伴うものではなく、無害かつ容易な段階から心の平穏を
確立するための手段となり得るのだけれども、そこまでもが一律に禁じられてしまった。
心身統一を踏まえた西洋医療としての精神外科だけが、特別な危険性を帯びているだけなのに、
その西洋医学が絶対無謬の金科玉条として広められてしまったことによって、
心身統一系の取り組み全般が無差別に、人々から遠ざけられることとなってしまったのである。
近年の日本で散発している、明らかに精神の異常を帯びているらしいような
兇漢による犯罪などもまた、心身統一による精神の平穏さえ確立できていれば、
初めから発生もせずに済んでいたようなケースがあったかも知れない。
(個人的には、ほとんどがそういう部類だったと思われるが)
しかし今の日本では、心身統一のわきまえが全くの反故にされている。
心と体が不可分であることを大前提とした諸般の取り組みは、
必ずしも危険性を伴うものではなく、無害かつ容易な段階から心の平穏を
確立するための手段となり得るのだけれども、そこまでもが一律に禁じられてしまった。
心身統一を踏まえた西洋医療としての精神外科だけが、特別な危険性を帯びているだけなのに、
その西洋医学が絶対無謬の金科玉条として広められてしまったことによって、
心身統一系の取り組み全般が無差別に、人々から遠ざけられることとなってしまったのである。
心身の統一を大前提とした精神外科的な取り組みが、
東洋においては健全で高尚な求道行為としてまで尊ばれて来たのに、
それが西洋医療に落とし込まれた途端に、悪逆非道な鬼畜の所業と化してしまう。
それも確かな原因があってのことで、
医学に限らず西洋科学全般が、前世紀における量子論の発祥以前までは、
「実験対象の観測や操作が不可避に対象の動向をかき乱す」という、
不確定性原理に該当する現象法則の遍在をまったく無視して来たからである。
今でも、量子条件が満たされるほど微視的でもない人間大の領域などにおいては、
実験者が完全に傍観的であることを前提とする悪癖が持ち越され続けているために、
それを大前提とした医学上の試みなども、多大なる副作用をもたらし続けている。
そのようなガサツさが人間精神そのものへの干渉にまで及ぶことは、
まさに鬼畜の所業となるために、やむなく封殺が講じられたのだけれども。
心身統一系に限らず、漢方の薬事効果においてですら副作用の発生を厳禁してきた
東洋医学的な手法に基づくのであれば、別に禁忌扱いまですべきものでもない。
本式の密教奥義などには、やり方を間違えた場合の副作用が深刻なものがあるために、
その取り扱いを厳重にすべきだということは言えても、その何もかもを禁忌として
封じるべきだなどということにはならない。あくまで、密教で言えば失敗に該当
するような真似を平気で試みる西洋医学上の精神外科だけが特別に禁断なだけなのである。
東洋においては健全で高尚な求道行為としてまで尊ばれて来たのに、
それが西洋医療に落とし込まれた途端に、悪逆非道な鬼畜の所業と化してしまう。
それも確かな原因があってのことで、
医学に限らず西洋科学全般が、前世紀における量子論の発祥以前までは、
「実験対象の観測や操作が不可避に対象の動向をかき乱す」という、
不確定性原理に該当する現象法則の遍在をまったく無視して来たからである。
今でも、量子条件が満たされるほど微視的でもない人間大の領域などにおいては、
実験者が完全に傍観的であることを前提とする悪癖が持ち越され続けているために、
それを大前提とした医学上の試みなども、多大なる副作用をもたらし続けている。
そのようなガサツさが人間精神そのものへの干渉にまで及ぶことは、
まさに鬼畜の所業となるために、やむなく封殺が講じられたのだけれども。
心身統一系に限らず、漢方の薬事効果においてですら副作用の発生を厳禁してきた
東洋医学的な手法に基づくのであれば、別に禁忌扱いまですべきものでもない。
本式の密教奥義などには、やり方を間違えた場合の副作用が深刻なものがあるために、
その取り扱いを厳重にすべきだということは言えても、その何もかもを禁忌として
封じるべきだなどということにはならない。あくまで、密教で言えば失敗に該当
するような真似を平気で試みる西洋医学上の精神外科だけが特別に禁断なだけなのである。
要するに人間は権威を得たいがために、嘘や話を盛ることで有能に見せようとしているだけだね。
>>1が主張する前提条件の「心と体を全く別個のものとして扱う同調圧力までもが広まってしまっているのである。 」が根本的に誤り。あるいは思い込み、偏見に感じられる。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」「病は気から」という概念が昔からある通り、肉体と精神は分かち難く結びついていることは自明。
別個のものとして扱うと主張する人がまったくいないとまでは言わないが、そんな「同調圧力」があるなどどこの世界のことか理解できない。
そういった事例があるなら、そもそもその根拠、実例を示してもらいたいものだ。
だが>>1には出来ないだろう。
なぜなら、そんな意味不明の同調圧力を感じているのは>>1の頭の中だけだからだ。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」「病は気から」という概念が昔からある通り、肉体と精神は分かち難く結びついていることは自明。
別個のものとして扱うと主張する人がまったくいないとまでは言わないが、そんな「同調圧力」があるなどどこの世界のことか理解できない。
そういった事例があるなら、そもそもその根拠、実例を示してもらいたいものだ。
だが>>1には出来ないだろう。
なぜなら、そんな意味不明の同調圧力を感じているのは>>1の頭の中だけだからだ。
西洋医学に基づく心身統一系の試みがあまりにも危険だからといって、
文化性の東西や古今を問わず、心身統一による健康や能力の増進に対して
一定以上に積極的であること全般が禁忌扱いとされてしまった。
その原因の一端となったのが、たとえばこいつらもそうだ。
東大の理学部や医学部の出身者もこぞって入信し、
サリン精製を含む数多の科学的な取り組みにも積極的であった。
その修行体系の中にも、西洋医学の精神外科に通ずる高度さを帯びた手法が
多く取り込まれていたがために、実際に死傷者を出すほどの危険性を伴っていた。
ヨガ仏教を謳ったオウムの摘発以降にも、特に女性の間でヨガが流行して来たが、
あんな化け物じみたものとの差別化を明確にするために、
あえて精神性の高度さを排した、純粋な身体のエクササイズ目的に
特化したものが大多数を占めるようになったのである。
文化性の東西や古今を問わず、心身統一による健康や能力の増進に対して
一定以上に積極的であること全般が禁忌扱いとされてしまった。
その原因の一端となったのが、たとえばこいつらもそうだ。
東大の理学部や医学部の出身者もこぞって入信し、
サリン精製を含む数多の科学的な取り組みにも積極的であった。
その修行体系の中にも、西洋医学の精神外科に通ずる高度さを帯びた手法が
多く取り込まれていたがために、実際に死傷者を出すほどの危険性を伴っていた。
ヨガ仏教を謳ったオウムの摘発以降にも、特に女性の間でヨガが流行して来たが、
あんな化け物じみたものとの差別化を明確にするために、
あえて精神性の高度さを排した、純粋な身体のエクササイズ目的に
特化したものが大多数を占めるようになったのである。
たとえば、世界的に普及している中では最も高度なハタヨガ流派であるアシュタンガヨガなども、
半ば確信的にエクササイズ系であることを標榜し、「宗教ではない」という点を強調している。
心身統一系のヨガとして純正であることが紛れもない天風会系のラージャヨガなども、
始祖の中村天風師からして「宗教ではない」ことを明言していたのだが、それはただ単に、
死後魂はどうなるかとかいったことを全く気にしてない、現生のための行法だからという理由なだけで、
人間精神の身体的な行法による活性化を本分としている点では、並みの宗教をも上回るものとなっている。
ただ、それはいま世界中に普及しているエクササイズ系のヨガとは似ても似つかない代物で、
天風会員の松岡修造などを見ても分かる通り、ハタヨガのリラックス志向などからはあまりにも
かけ離れた熱血加減ともなっている。しかしそれこそが本来の心身統一系のヨガの正体であり、
なればこそ古来の密教などでも熱い火を尊ぶ護摩業などが盛んに行われて来たのである。
オウムもまた贋物のラージャヨガだったために、どちらかといえば熱血志向で修行に取り組んでいたのだが、
そこに西洋医学由来の精神外科的な手法などの不純物を混ぜ込んだものだから、あんな惨状と化した。
西洋医学の世界的権威性の承認のような妥協と共にである以上は、ヨガも熱血志向などではいられず、
いやでも近年普及しているもののような惰弱さに陥って、本来の目的を疎かにせざるを得ないのである。
半ば確信的にエクササイズ系であることを標榜し、「宗教ではない」という点を強調している。
心身統一系のヨガとして純正であることが紛れもない天風会系のラージャヨガなども、
始祖の中村天風師からして「宗教ではない」ことを明言していたのだが、それはただ単に、
死後魂はどうなるかとかいったことを全く気にしてない、現生のための行法だからという理由なだけで、
人間精神の身体的な行法による活性化を本分としている点では、並みの宗教をも上回るものとなっている。
ただ、それはいま世界中に普及しているエクササイズ系のヨガとは似ても似つかない代物で、
天風会員の松岡修造などを見ても分かる通り、ハタヨガのリラックス志向などからはあまりにも
かけ離れた熱血加減ともなっている。しかしそれこそが本来の心身統一系のヨガの正体であり、
なればこそ古来の密教などでも熱い火を尊ぶ護摩業などが盛んに行われて来たのである。
オウムもまた贋物のラージャヨガだったために、どちらかといえば熱血志向で修行に取り組んでいたのだが、
そこに西洋医学由来の精神外科的な手法などの不純物を混ぜ込んだものだから、あんな惨状と化した。
西洋医学の世界的権威性の承認のような妥協と共にである以上は、ヨガも熱血志向などではいられず、
いやでも近年普及しているもののような惰弱さに陥って、本来の目的を疎かにせざるを得ないのである。
ヨガの中で、心身統一を直接的に司っているのはラージャヨガであり、
真言密教やチベット仏教や天風会がやってるのもラージャヨガである。
(禅宗もラージャヨガそのものではないが、結果的に通じることをやっている)
ある程度以上に心身が元から壮健な者であればラージャヨガ一本でもやって行けるぐらいなのだが、
クンバハカのエネルギーによって全身を燃やすとでもいったような熾烈さを帯びているために、
健康状態があまり宜しくない人間などがそれだけを試みてもモノにならない場合がある。
そのような問題を解決するために後付けで考案されたのがストレッチ系ヨガのハタヨガで、
特にラージャヨガの行法であるクンバハカを直接的に阻害する原因となる身体の歪みを
ストレッチによって解消して行くことを本分としている。
ラージャヨガが火だとすれば、ハタヨガは水のようなもので、
前者が生命力を活性化して燃え上がらせすぎかねないところを加減させる役割を持つもの。
だからこそハタヨガだけをやったりすれば、リラックス過剰からの惰弱化にも陥りかねない。
そのため、ハタヨガの原典である「ハタヨーガ・プラディーピカー」にも、
「ラージャヨガのためにハタヨガを修めるのでなければ本末転倒になる」とある。
現状のヨガはそればかりを助長し、心身統一をかえって阻害する原因にまでなっているのである。
真言密教やチベット仏教や天風会がやってるのもラージャヨガである。
(禅宗もラージャヨガそのものではないが、結果的に通じることをやっている)
ある程度以上に心身が元から壮健な者であればラージャヨガ一本でもやって行けるぐらいなのだが、
クンバハカのエネルギーによって全身を燃やすとでもいったような熾烈さを帯びているために、
健康状態があまり宜しくない人間などがそれだけを試みてもモノにならない場合がある。
そのような問題を解決するために後付けで考案されたのがストレッチ系ヨガのハタヨガで、
特にラージャヨガの行法であるクンバハカを直接的に阻害する原因となる身体の歪みを
ストレッチによって解消して行くことを本分としている。
ラージャヨガが火だとすれば、ハタヨガは水のようなもので、
前者が生命力を活性化して燃え上がらせすぎかねないところを加減させる役割を持つもの。
だからこそハタヨガだけをやったりすれば、リラックス過剰からの惰弱化にも陥りかねない。
そのため、ハタヨガの原典である「ハタヨーガ・プラディーピカー」にも、
「ラージャヨガのためにハタヨガを修めるのでなければ本末転倒になる」とある。
現状のヨガはそればかりを助長し、心身統一をかえって阻害する原因にまでなっているのである。
数年前に、文京区の護国寺前の天風会本部の前を通ったことがあるが、
もう建物もボロボロで、常駐の職員もおらずもぬけの殻。
公益法人だし儲けなんかも皆無で、会員数も減るに任せる一途を辿っている模様。
日本古来のラージャヨガの総本山たる真言宗のほうは、
さすがにまだ全国に深く根を張ってはいるが、心身統一への積極性全般を忌む
近年の風潮にまでは抗えず、本格の求道者などもそう多くはなく、
八十八ケ所巡りの観光イベント化などに代表されるように、
浄土門なみの他力本願系の信仰と化してしまったのが大半となっている。
他力本願であるからには、そこには身体的な実践などはない。
あっても形式的な儀式程度のもので、そこでの十分な効果などは期待されない。
ハタヨガが精神性を排した単なるエクササイズとして好まれているのとは逆に、
ラージャヨガ系の信仰などは精神性への偏重が行き過ぎて、逆方向から
心身統一の試みを疎かにしてしまっているといった傾向がみられる。
もう建物もボロボロで、常駐の職員もおらずもぬけの殻。
公益法人だし儲けなんかも皆無で、会員数も減るに任せる一途を辿っている模様。
日本古来のラージャヨガの総本山たる真言宗のほうは、
さすがにまだ全国に深く根を張ってはいるが、心身統一への積極性全般を忌む
近年の風潮にまでは抗えず、本格の求道者などもそう多くはなく、
八十八ケ所巡りの観光イベント化などに代表されるように、
浄土門なみの他力本願系の信仰と化してしまったのが大半となっている。
他力本願であるからには、そこには身体的な実践などはない。
あっても形式的な儀式程度のもので、そこでの十分な効果などは期待されない。
ハタヨガが精神性を排した単なるエクササイズとして好まれているのとは逆に、
ラージャヨガ系の信仰などは精神性への偏重が行き過ぎて、逆方向から
心身統一の試みを疎かにしてしまっているといった傾向がみられる。
オウム以前と以後で、日本社会はやはり激変した。
以前にすでに社会的地位を確立していた団塊世代などは、
非常に頭が悪いという弊害を帯びつつも、まだ日本の伝統に根差した
心身統一系のバイタリティの高さを持ち合わせていたために、
今でもみんな元気で、ほとんどタバコの吸い過ぎによる肺癌ぐらいでしか死んでない。
その団塊の直下の世代、
麻原やオウムの主要幹部をも占めていた新人類以下の世代は格段の惰弱化が顕著で、
団塊よりも若いのに寿命未満のまま病気で死んで行ってる人間が大変多い上、
安倍や小池に代表されるが如く、総員で在日カルトの飼い犬となり、
政権与党側からの失政で国を破綻に陥れるとかいう、左翼老人も顔負けの醜態を晒すに至ったのだった。
団塊直下の年寄り世代までは、まだ戦前世代の働きによる恩恵などもあって
終身にわたる自活の機縁にも恵まれたが、その年寄り世代の子供にあたる、
氷河期以下の次世代ともなれば、もはや半数近くが自活もままならない貧窮に追い込まれている上、
発達障害に代表される精神疾患のほか、心因性のアレルギーやアトピーまでもが激増しているという。
(昨日のNHKではグルテンアレルギーによる若年性腹痛の激増が取り沙汰されてもいた)
以前にすでに社会的地位を確立していた団塊世代などは、
非常に頭が悪いという弊害を帯びつつも、まだ日本の伝統に根差した
心身統一系のバイタリティの高さを持ち合わせていたために、
今でもみんな元気で、ほとんどタバコの吸い過ぎによる肺癌ぐらいでしか死んでない。
その団塊の直下の世代、
麻原やオウムの主要幹部をも占めていた新人類以下の世代は格段の惰弱化が顕著で、
団塊よりも若いのに寿命未満のまま病気で死んで行ってる人間が大変多い上、
安倍や小池に代表されるが如く、総員で在日カルトの飼い犬となり、
政権与党側からの失政で国を破綻に陥れるとかいう、左翼老人も顔負けの醜態を晒すに至ったのだった。
団塊直下の年寄り世代までは、まだ戦前世代の働きによる恩恵などもあって
終身にわたる自活の機縁にも恵まれたが、その年寄り世代の子供にあたる、
氷河期以下の次世代ともなれば、もはや半数近くが自活もままならない貧窮に追い込まれている上、
発達障害に代表される精神疾患のほか、心因性のアレルギーやアトピーまでもが激増しているという。
(昨日のNHKではグルテンアレルギーによる若年性腹痛の激増が取り沙汰されてもいた)
精神外科禁忌自体は現在、全世界に広く流布されているものだが、
日本社会はそれに輪をかけて、カルトのそっち系による暴発というトラウマを植え付けられたことから、
「まともな社会人なら心身統一なんていう試みは当然のこととして避けてしかるべきもの」
というほどもの同調圧力が確立されて、スピリチュアル系などもサブカルのキワに追い込まれた。
サブカルの中ですら、まだ漫画アニメあたりのほうが大盛況という、世界でも他に類を見ないほどの
心身分裂系の文化習俗にドップリと浸かりきり、その外側なども全く見えなくなってしまった。
なまじオウムが仏教系なんかを標榜していたからこそ、諸外国以上に、東洋の伝統文化ペースで
心身統一を嗜むことまでもが徹底して遠ざけられるという、突出した不遇に追い込まれた。
西洋社会は元から心身統一系の伝統文化などがないから、それ+精神外科禁忌で、
心身統一への敬遠が盤石化しているが、日本はほとんど世界一といってもいいほど、
古来の心身統一系の伝統文化に恵まれているのにも関わらず、そこにまで封印が貼られてしまった。
世の中が傾くほど、人々が惰弱化の病理に蝕まれているのも当然といえば当然のことで、
歴史的に心身統一系の伝統文化が存在しない西洋社会が、自給自足による平和状態を
100年と保てたことがない原因を、日本人までもが擬似的に体験している状態にあるのである。
日本社会はそれに輪をかけて、カルトのそっち系による暴発というトラウマを植え付けられたことから、
「まともな社会人なら心身統一なんていう試みは当然のこととして避けてしかるべきもの」
というほどもの同調圧力が確立されて、スピリチュアル系などもサブカルのキワに追い込まれた。
サブカルの中ですら、まだ漫画アニメあたりのほうが大盛況という、世界でも他に類を見ないほどの
心身分裂系の文化習俗にドップリと浸かりきり、その外側なども全く見えなくなってしまった。
なまじオウムが仏教系なんかを標榜していたからこそ、諸外国以上に、東洋の伝統文化ペースで
心身統一を嗜むことまでもが徹底して遠ざけられるという、突出した不遇に追い込まれた。
西洋社会は元から心身統一系の伝統文化などがないから、それ+精神外科禁忌で、
心身統一への敬遠が盤石化しているが、日本はほとんど世界一といってもいいほど、
古来の心身統一系の伝統文化に恵まれているのにも関わらず、そこにまで封印が貼られてしまった。
世の中が傾くほど、人々が惰弱化の病理に蝕まれているのも当然といえば当然のことで、
歴史的に心身統一系の伝統文化が存在しない西洋社会が、自給自足による平和状態を
100年と保てたことがない原因を、日本人までもが擬似的に体験している状態にあるのである。
おそらく、
「健康寿命が尽きようとも、高度医療にさえ頼るのであれば、
老衰死水準である90過ぎまで大半がなんとか生きられる」
という戦後日本特有の現象もまた、団塊世代までで打ち止めになる。
この3人も、細野だけが団塊で、あと2人は年下の新人類。
インテリ度や繊細さでは故人2人のほうが上でも、元気さではやはりといった所。
団塊は戦後のベビーブームの落とし子で、あまりにも世代人口が多すぎたために
教育が行き届かず、野人のように荒野を駆け巡りながら生まれ育ったことから、
平均知能はガタ落ちした反面、その戦後教育による心身統一不全からの惰弱化の
危害をほとんど受けなかったために、戦前世代なみのバイタリティでいられたのである。
日本人にとって昔は最大の死因だった結核もほぼ絶やされて、その他の致命的疾患も
軒並み生かさず殺さず程度の延命であれば可能な域にまで対策が講じられて来た結果、
古来のバイタリティを帯びた日本人は老衰付近まで生き延びられるのが当然となったが、
その保証ももはやなく、「人生100年時代」なんてのも夢想に終わる可能性の方が高い。
「無駄に長生きなんかしたくない」なんて格好つける若者も多いが、
中年も過ぎればそんな気力も衰えて、命ぐらいは永らえたい思いに駆られながら、
70もいかない所で命を落とす。それが武士のような魂の高潔さを帯びているわけでもない、
心身分裂時代の一般人の素性であるからには、哀れな事態という他ないであろう。
「健康寿命が尽きようとも、高度医療にさえ頼るのであれば、
老衰死水準である90過ぎまで大半がなんとか生きられる」
という戦後日本特有の現象もまた、団塊世代までで打ち止めになる。
この3人も、細野だけが団塊で、あと2人は年下の新人類。
インテリ度や繊細さでは故人2人のほうが上でも、元気さではやはりといった所。
団塊は戦後のベビーブームの落とし子で、あまりにも世代人口が多すぎたために
教育が行き届かず、野人のように荒野を駆け巡りながら生まれ育ったことから、
平均知能はガタ落ちした反面、その戦後教育による心身統一不全からの惰弱化の
危害をほとんど受けなかったために、戦前世代なみのバイタリティでいられたのである。
日本人にとって昔は最大の死因だった結核もほぼ絶やされて、その他の致命的疾患も
軒並み生かさず殺さず程度の延命であれば可能な域にまで対策が講じられて来た結果、
古来のバイタリティを帯びた日本人は老衰付近まで生き延びられるのが当然となったが、
その保証ももはやなく、「人生100年時代」なんてのも夢想に終わる可能性の方が高い。
「無駄に長生きなんかしたくない」なんて格好つける若者も多いが、
中年も過ぎればそんな気力も衰えて、命ぐらいは永らえたい思いに駆られながら、
70もいかない所で命を落とす。それが武士のような魂の高潔さを帯びているわけでもない、
心身分裂時代の一般人の素性であるからには、哀れな事態という他ないであろう。
心身統一が不全化している人間にとっての、
最も代表的な精神疾患に該当するのが「離人症」だけれども。
団塊よりも下の世代の日本人などは、
もはや一定以上の離人症を患っているのが当たり前であるために、
よっぽど重度で生活に支障を来たすぐらいでもなければ、
いちいち症状を訴えたりすることもないような状態になっている。
離人症が重症化しているような時には、
もはや鬱や双極性や発達や統失などの、その他の疾患もまた
併発して重症化している場合がほとんどなので、
むしろそちらの苦しみのほうをより訴える場合のほうが多い。
軽度の離人症などは、それこそ「夢見心地」扱いとされて、
女ならメンヘラ女子などとして好まれることすらあるわけだが。
精神病としてはむしろ軽度の部類として扱われることが多ければこそ、
離人症から防ぎ止めて行ければ、心身統一の不全化による
諸々の支障もまた根こそぎ排して行ける所があるけれども。
すでに患っている人間にとっては、大変な難儀ともなるところ。
あくまで指針として、離人症までをも治して行く心がけを抱くのが肝要な所である。
最も代表的な精神疾患に該当するのが「離人症」だけれども。
団塊よりも下の世代の日本人などは、
もはや一定以上の離人症を患っているのが当たり前であるために、
よっぽど重度で生活に支障を来たすぐらいでもなければ、
いちいち症状を訴えたりすることもないような状態になっている。
離人症が重症化しているような時には、
もはや鬱や双極性や発達や統失などの、その他の疾患もまた
併発して重症化している場合がほとんどなので、
むしろそちらの苦しみのほうをより訴える場合のほうが多い。
軽度の離人症などは、それこそ「夢見心地」扱いとされて、
女ならメンヘラ女子などとして好まれることすらあるわけだが。
精神病としてはむしろ軽度の部類として扱われることが多ければこそ、
離人症から防ぎ止めて行ければ、心身統一の不全化による
諸々の支障もまた根こそぎ排して行ける所があるけれども。
すでに患っている人間にとっては、大変な難儀ともなるところ。
あくまで指針として、離人症までをも治して行く心がけを抱くのが肝要な所である。
脳に障害があるのに精神云々で治る訳がないwww
脳の器質的な損傷が原因の疾患もまた、知的障害とか脳性麻痺とかそれなりにある。
精神疾患もまたそれに該当するのかというと、ほとんどそうとも言えない。
脳神経系におけるセロトニンやドーパミンの分泌能力が人並み外れて下がっている
ようなことはあるが、それ自体が脳への酸素供給や血流が滞っているとかいった、
より根本的な原因性を帯びている場合がある。
そしてその原因が呼吸力の弱体化であったりする上に、
その呼吸力低下の原因もまた体の歪みや呼吸筋の固縮だったりする。
現代医療は、二重以上の因果律を帯びた病理現象を、反証可能性に欠けるために無視し、
まったく診療の対象ともしないために、完全に見落としている所ではあるけれども。
体の歪み→呼吸力の低下→脳への酸素供給不足→セロトニン分泌不全→精神疾患
のような多重の因果律もまた、実在しないなどと断定するほうが理に適ってないし、
そのような因果律への検討に即した、体の歪みのような最原初の病因からの治療に取り組む
ことだって、なんら神秘性などを考慮に入れたりもしない、純然たる医療たり得るのである。
(もちろん、西洋医学やそれに基づく現代医療の枠組みからは逸脱してしまうのだが)
精神疾患もまたそれに該当するのかというと、ほとんどそうとも言えない。
脳神経系におけるセロトニンやドーパミンの分泌能力が人並み外れて下がっている
ようなことはあるが、それ自体が脳への酸素供給や血流が滞っているとかいった、
より根本的な原因性を帯びている場合がある。
そしてその原因が呼吸力の弱体化であったりする上に、
その呼吸力低下の原因もまた体の歪みや呼吸筋の固縮だったりする。
現代医療は、二重以上の因果律を帯びた病理現象を、反証可能性に欠けるために無視し、
まったく診療の対象ともしないために、完全に見落としている所ではあるけれども。
体の歪み→呼吸力の低下→脳への酸素供給不足→セロトニン分泌不全→精神疾患
のような多重の因果律もまた、実在しないなどと断定するほうが理に適ってないし、
そのような因果律への検討に即した、体の歪みのような最原初の病因からの治療に取り組む
ことだって、なんら神秘性などを考慮に入れたりもしない、純然たる医療たり得るのである。
(もちろん、西洋医学やそれに基づく現代医療の枠組みからは逸脱してしまうのだが)
またとり板だけ書けなくなってるか?
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スレッドタイトル:精神外科禁忌の犠牲者たち