「真面目」であることと、「厳しい」ということは、全くイコールではない。
サディストなどは、「不真面目だが厳しい」実例の最たるもので、
たとえば力道山などもそうだったらしく、それを見倣った団塊世代なども、
それ故の理不尽なパワハラによって、下の世代を不毛に痛め付けて来たものである。
戦前世代の日本人などは、「真面目かつ厳しい」人間が多かったものだから、
団塊含む下の世代から恐れられた一方で、合理的な振舞いや指導にも徹し、
以て下の世代(ただしバブル世代あたりまで)を繁栄にも導いたのである。
「優しくて真面目」ともなると、近年ではほとんど見かけないけれども、
たとえばサディスト信長が所かまわず配下を痛め付けて愚弄するような真似を
重ねた挙句に謀反で身を滅ぼした姿を反面教師と見て取った徳川家康が、
決して人前で誰かを叱りつけるような真似をせず、最晩年まで全ての部下に敬語を
使っていたという有り様などは、「優しいが真面目」の実例だったのではあるまいか。
今や、比率面では
不真面目で厳しい≒不真面目で優しい>>>真面目で厳しい>真面目で優しい≒0
といった世相であるために、たとえ眉間を寄せようが寄せまいが、
不真面目ゆえにオナメン顔貌なままという人間までもが大多数を占めている。
「真面目で厳しい」のみならず、「真面目で優しい」という境地までもが
実在することを見越して、真面目を毛嫌いすることなく志すべきなのである。
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